橋下大阪市長の「維新八策」が物議を醸しているが、
中でも「グレートリセット(大いなる再起動)」は現行政治のリセットということで、
わが意を得たりと、死を待つだけのわが身に、何やら生きる喜びを感じさせる今日この頃だ。
しかしながら、2月20日の産経新聞によれば、
「日本共産党の志位和夫委員長が、
『ヒトラーも当初、たいした人物ではないと思われていたがああなった。
独裁政治を国政に押し広げようとしている』と警戒心をあらわにする。」とある。
また、同日の産経新聞のコラムで、某大学教授が「維新の会ブームの危うさ」と題して、
「ここ十数年の『改革』が何をもたらしたのか、強い警戒心が先立つのは当然ではないか…」と言っている。
同日の夜のタケシのテレビタックルでも、評論家の某大学教授が、「独裁」ということの懸念を述べていた。
これらは、何れも、体制派に属している「暢気な評論家」の失言でしかない。
まず、橋下氏が大阪府知事に当選したとき、
「財政赤字を解消するために、職員の協力がなければ改革が進まない」として、
職員組合との団体交渉をテレビのニュースで放映していた。
このとき、橋下府知事は、
「税収が減って、府のお金が無いんです。賃金引下げや合理化についての協力を」と訴えた。
それに対して、反対する職員組合の代表者は、何と言ったか!。
「お金を調達するのが、知事の貴方の仕事でしょ」と、平然と言い放った。
この場面が、私の目に焼きついている。
こんな人たちと3年半付き合って、
こんどは大阪市長になった。
当然、大阪市の職員組合は、いままで、好き勝手に、「自由」にやってこられたのに、
うるさい奴が市長になったら大変と、対抗馬の市長候補にテコ入れしたに違いない。
これは私の想像だが、選挙期間中、市役所は無法地帯と化していたのではなかろうか。
民間の会社では当然経営者が目を光らすが、そこにはそれが無い。
小さな社会主義社会がそこにあるのだ。
それで、橋下大阪市長は、当選後、選挙期間中の職員の行動について、
チエックしたい、しなければならない、と考えたに違いない。
橋下市長が、職員に記名式のアンケートを求め、組合側は思想信条などを侵害する不当労働行為だとして、
大阪府労働委員会に救済を申請して、この問題は棚上げされたようだ。
この職員組合の行動は、「逆切れ」ではないか。
電車の中で、チンピラが足を放り出して、椅子にふんぞり返って座っている。
そこで、「行儀が悪いですよ」と注意した人に向かって、「うるさい!」と怒鳴って
蹴り上げる…。そんな感じ。全く反省がない。
職員組合は、「公僕たる公務員が、最低限の生活を確保するための
寄り合い組織」でしかない筈だ。公僕としての自覚がない。
そもそも、社会主義を求める人たちは、ソビエトや中国を見習って、
「プロレタリアートの独裁」を求めて労働運動をした。
戦後、民間の労働運動は、それが成り立たないことに気が付いた。
それから、国鉄(JR)、電信電話公社(NTT)が現実を知って、
残り、自治労だけが、未だに「親方日の丸」で、むさぼっている。
そんな、職員たちの報告を聞いて、「独裁」だと危惧するなど、
チャンチャラ可笑しい。寝ぼけるな!と言いたい。
ギリシャやイタリアも、公務員がのさばって、破綻した。
日本も同じ轍を踏まないために、橋下氏が命がけで頑張っているのだ。
むやみに敵を作らないなど、彼の行動には情動的でない戦略が働いているようだ。
新聞報道によると、橋下氏は母子家庭に育ち、恵まれた家庭環境ではなかったそうだ。
たぶん、小、中、高、大学の入学の度に、母親が工面して準備をしていたのを
見ていただろう。
貧しいことが如何なるものか、ひもじいものが如何なるものか、
彼はしっかりと受け止めたに違いない。他人の痛みが分かる人間の筈だ。
橋下氏には、くれぐれも、身辺の警護を強化して、
グレートリセット(大いなる再起動)のために前進し、
真の民主主義国家を実現してもらいたい。


by l-c-tommy
平成の徒然草(二十七)